プロフィール

プロフィール

 

大人しくて内向的な幼少期~

経営者の父と母、4人姉妹の長女として生まれる。

父と母は年齢が一回り以上、離れていた。

父は貧しい農家の出で高等小学校しか出ていなかったが、丁稚奉公をして主人に認められ、のれん分けしてもらって独立したと聞いている。

努力家で真面目に生きて仏様みたいな人だった。父には叱られた記憶がない。

いつも寡黙で、仕事場にいたので父との思い出が少ない。

父が幸せだったのか、いつもそれを考えると切なく寂しい感覚に襲われる。

妹ができたのは2才9か月の時、私は寂しかったのだろう、家出をすることになる。

祖母の家に行って家に帰らなかった。母が妹の世話をして、自分はいらない子だと思ったようだ。自分は価値がないという思い込みが生まれたのはこの頃かもしれない。

小さい頃は大人しくて人見知り、買い物に行く母についていって、近所の人に会うと母の後ろに隠れるような子どもだった。

 

2才で交通事故に遭う。

両親が商売をしていた店の前で遊んでいて転んで牛車にひかれそうになって、間一髪で自転車に乗っていた人が私を蹴って車輪と車輪の間に上手く滑り込ませてくれた。私はショックで失禁し意識を失っていたが、病院に運ばれて処置をしてもらって無事意識が戻った。私を蹴ってくれた人は命の恩人と両親から聞いた。

この時、生かされたということに気づいたのは大人になってからだった。

 

3人の妹たちがつぎつぎ生まれて、お姉ちゃんとして育てられる。

姉妹喧嘩をすると、お姉ちゃんなのにと、だいたい自分が叱られた。

理不尽に感じることが多くて、固まってしまっていた。

このときから、自分の主張は通らないものと思い込んだ。

すねて、ひがんで、扱いにくい子だったかもしれない。

のちに、HSP傾向がある子だったと理解する。

 

―どんなふうに人と繋がるのか、分からなかった幼少時代―

5歳になったころ幼稚園に入園することになる。

しかし先生が私を自宅まで連れて帰るということが度々あった。

集団生活になじめなかったようだ。

園庭でじーっと一人で佇んでいて何もしない、動かない、そんな子供だったので、いてもしようがないと自宅へ帰された。

となりのクラスの先生は遊びに入って来れるように、声をかけてくれて、そんな時は嬉しくてはにかみながら先生のいう方に行って砂場遊びをした。

担任の先生はほったらかしだった。

けれど、どういうわけか、母が迎えに来ると、私に満面の笑みで優しく声をかけた。

その先生の言動が普段と一致しないので、子ども心にとても不思議だった。

大人ってこんなに態度が違うのだと認識した衝撃の場面は今でも覚えている。

大人しいけれど、人間観察はしていたみたい。

そして、集団になじめなかったけれど、その中に入りたく思っていたのは確かだ。

 

小、中、高~

小学生1年で近所の市立小学校へ上がったが学校になじめなかった。

運動会が終わったころ、国語の時間に詩を書く課題がだされた。

表現すること、詩を書くということが理解できなかった私は、運動会の紅白の玉入れの様子をそのまま言葉にして提出した。

赤い玉、入れた。白い玉飛んでった、入った。。みたいな感じだ。そこだけ、なぜだか覚えている。

どうしてよいか分からず、文字を書けば良いという感じで何も考えずに書きなぐった。

後日、その詩が返されるとき、先生は始めにみんなの前で言った。

このクラスの中で自分で書いていない人がいます。って。

とてもよくできた詩です。読みますと言って読んだのが私の詩!だった。

誰だろう?って思っていたからビックリした。

私?なんで?国語の時間に書いてだしたのに、、苦しくても書いたよ!自分で、ここで、教室で書いたのに、なんでそんなことを言うの?

って、こころの中は混乱でいっぱい。でも、なにも口から発することはできなかった。

とてもよくできた詩、というのもびっくりだった。

あんなに投げやりで書いて出したものがよくできた詩だったんだ!と、いう思いと、

まるで罪びとのように扱われたことは、今思い出しても胸が痛くなるような経験だった。自分をかばう術を持たなかった小さな私。ごめんねと声をかけると泣きそうななっている小さな女の子が浮かぶ。

 

そのせいもあったのかもしれないが、母の希望で私立の小学校へ転校、このころが一番のびのびしていた。

しかし、空想好きな少女時代。自分とはなに?わたしってなんだろうと考えるくせがあった。自分のこころを、とっても不思議なものとしてとらえていた。

中学受験をして私立の中高一貫校へ進学。穏やかな時代で積極的に委員をしたり、部活に励んだ。

楽しい時代だったが、なぜだか、虚しさを感じることがあった。

中学生の頃は反抗期で、ひどい言葉で母を傷つけたのだろう。

母から「出ていって」と言われてお金を机の上におかれた。

家を出て行ったら生きていけないと思って固まってしまった。

母から見放されたら生きていけない、

叱られると、自分が悪いと思って飲み込んで我慢する。

そんなクセがついていった。

母に大人になっても言われていた言葉が「あんたは気まま」「わがまま」「敏感」「繊細」

とにかく反抗期の私はやりにくい子だっただろう。

この反抗期の時期を過ぎてからは、いい子になっていったが敏感体質はそのまま抱えて成長していく。

反抗期が過ぎたら、母の私に対する評価は「いい子」に変わっていった。

とにかく私は父と母が好きで喜ばせたかった。幸せでいてほしかったのだ。

だから、いい子になったのかもしれないな。

 

学生時代~20代

 

心理学と演劇に興味があったが、演劇を選んで東京の大学へ

卒業後、関西に戻って就職するが、芝居の世界に未練があって1年後にある有名な劇団をを受験する。

役を通して、まるで違う人間を演じることで感じるこころの動きに惹かれていた。

3次試験まで進んだが、最後の歌のテストで落ちた。

これで、きっぱりと方向転換をすることができた。

父が女優の仕事にたいして、止めて欲しいと言っていたから。

それを押して試験を受けたが、落ちたことで、ほっとしている自分がいた。

 

関西に戻り、ラジオやTV局のオーディションを受ける。

テレビキャスター、ラジオのパーソナリティーのアシスタントを経験。

報道局のTV番組で生放送の枠を45分、週に1回、1年半番組が終了するまで務めた。自分に与えられたコーナーでは、芸能から旅のトピックを扱った。俳優、女優、映画監督、歌手、職人さんや地方で出会った市井で懸命に人生を生きる人々を取材、インタビューをする経験をした。

この時の自分が生涯でいちばん輝いて幸せな時代だった。

 

 

20代後半 大病で臨死から目覚めて覚醒体験をする

婚約をする。にもかかわらず、生死をさまよう大病をして臨死体験ののちに、覚醒体験。

圧倒的な感覚、言葉では表現できないような圧倒的な感覚に包まれる。

この時の経験がのちにセラピストとしての原点に。

父は毎日、祈ってくれた。仕事で忙しい中、お百度参りにも行ってくれた。母は毎日ずっと側について看病をしてくれた。どんなにか心配だっただろう。

看護師さん、先生たちの懸命な治療、

 

病気の快復後、結婚して上京。一姫二太郎、子どもを授かり子育てに専念する。

この子育てで大きな挫折を経験する。

 

 

息子の病 命の峠を越える

息子が5か月で百日咳肺炎で入院、病気の感染源は夫だった。

本来、親というのは防波堤にならなくてはいけないもの、とかたくなに信じていた私は夫に対して猜疑心を持つようになる。

それでも、実際には言えなかった。

言えるようになったのはアサーティブコミニケーションの本を読むようになってからだ。

とにかく、自分の本当の思いを伝えるのが下手だった。

自分より、人を立てることを優先しなければと思っていた。

 

息子は治療薬が合わなかったのに気づかれなくて体温が急激に下がっていった。

黒目が上にいって白目になっていて、急いでベルをならして看護師さんを呼んだ。

意識がない状態で検査された脳の状態をみて、医者が言った言葉

「もし、助かったとしても、普通の子供のようにはいかないでしょう」

 

意識のないまま大きな専門病院へ救急車で運ばれる。

百日咳肺炎脳症という診断名で今夜が山と言われる。覚悟をする。

もし、最期なら、せめて腕の中でと思っては祈り一晩を傍について過ごす。

 

彼の生命力が彼を生かしてくれた。

この30年後にまた、覚悟しなくてはならことが起ころうとはこの時は思わなかった。

 

40代~ 父の死 ホリスティックな癒しの世界へ

父が末期癌と診断される。療養しながらも仕事に励む父。

診断されて1年は会社に通っていた。自宅から歩いて5分で着けるところを1時間かけて一歩一歩、歩いて通った、そんな父の様子を母から聞くにつれ、胸が押しつぶされる思いだった。

そんな父もとうとう、歩けなくなった。

 

家で看取りたかった私の気持ちは通じず、父が自ら病院でと言い入院。

東京から毎週、病院へ通った。いつものように私が着いたその日。

「今日が最期や」と言って、本当にその日に亡くなった。

入院して1か月だった。

 

父は幸せだったのだろうか?家族を養うことで懸命に働いた父。

ほとんど、一緒に楽しいことを共有することは少なかった。

「死んだら終わりや」そんなことも言っていた父。

それは寂しすぎる。

生きている間、今の幸せを感じられて死ぬときは楽しかったといえる生き方はできないのだろうか。

そんな人を増やしたい、自分もそうでありたいと思うようになってセラピーの世界へ踏み出した。

 

―自然療法とカウンセリングを学ぶ。―

 

50代~

息子にてんかんの症状が出始める。

小さい頃から、エネルギーが抜かれるということを訴えていた。

 

それが、なにか?分からなかった。

私の中で、その状態を改善する物はないかと探す旅が始まった。

西洋医学ではない、なにか。

手始めにアロマセラピーの教室に通った。芳香療法にマッサージもある。そこで知ったのが、フラワーレメディという感情を癒す療法だった。こころの状態が体の症状になることに気づいていた私は、自分の敏感な感情も癒したいと思っていたので、直ぐに学び始める。

バッチフラワーレメディを開発したバッチ博士がホメオパスだと知る。ホメオパシーを未来の医療と語っている本を読んで、一層興味をもち師事する先生を探す。そして見つけた

ホメオパシー療法の学校に4年在籍。最終仕上げとしてギリシャ、アロニソス島に約1か月滞在。ホメオパシーの世界的権威、ジョージ・ヴィソルカス博士から直接講義、指導を受け、3日に亘る試験に合格。卒業後は青山通りのサロンでホメオパスとしてコンサルテーションを担当。サロンが閉じられるまで務めた。

家族の風邪やインフルエンザ、胃腸炎など単純な病気に限るが、その癒しをホメオパシーでほぼ緩和できる様になっていた。

学びを1年ごと積むほどに、家族の症状に対する見立てと癒しの腕が上がっているねと家族の感想。苦しい時間が短く、症状が自然に消える速度が速くなって楽になるのが早いという。

インフルエンザでは高熱と頭痛や、身体の痛みなど、種類によって症状は違うが、見立ててレメディを選んで、一口舌下に落としてあげると、一瞬で苦しみが消えるので、家族はいつも、なんで~?と嬉しい感想を言ってくれた。

高熱が出た時は、頭痛や熱が下がっても、3~4日は静養してもらう。

症状をとっても体の回復には養生の時間が必要だからだ。

ただ、その3~4日は熱は下がり、頭痛も消えているので体のだるさを取れるのを待つだけ。お布団の中でゆっくりと幸せな時間を過ごせる。

代替療法が自分の天職だと思えたほど、勉強も楽しかった。

 

60代~ 初めて鬱になる。消えるのに1年かかった。

娘が結婚して、結婚式の1週間後に家族写真が撮れていないことに気づいて愕然とする。たかが写真、けれど自分にとって大事な証だったのだろう。撮ってほしいと言えなかった自分が心底情けなかった。後悔、大切なことを伝えられない自分への怒り、欲しいものを欲しいと言えない自分が招いた結果だと、そのことに気づいたのは後年になる。

この時はただ情けなく自分を責めた。

そうしている間に身体が動けなくなる。夫の会社の事務雑用をするため、会社へ通っていたが、それで精いっぱいで家では何もできなくて寝込んでしまった。

ホメオパシーのレメディを自分の今の精神では選べなくなっていた。

他に診てもらう気力もなく、ただ横になって過ごす毎日だった。

精神と身体を癒すために、以前から通っていた断食養生食のある施設へ行く。

そこで、「一時的な鬱です」と言われる。

診断されたことで、なんだかほっとする。何が原因か分からないのが不安だったのだと分かって不安感は少なくなった。そこから、1か月に1回、施設に通って数日の断食と養生をするため通った。先生の予測どおり1年で鬱は消えた。

 

私は、これより前に身体の痛みがあったが、何をしても消えなかったので、最終手段として心療内科に行った。体の痛みが実は心からきているという本を読んだからだ。実体験を書かれた本には実際のクリニックと入院先も書いてあって、その方は完治している。

わたしは、そのクリニックへ行った。

本に書いてあった先生が診てくれたが、まずは心理テストを受けた。種類の違うテストを2つほど受けたようだ。心身症を診断された。

こころからの影響で体に症状がでる病とあった。

抗うつ剤と、セロトニン  剤と、胃の薬と腸の薬と4種類の薬だった。

肝臓の数値を調べるため、血液検査もした。

これは、薬の副作用で肝臓に負担があるから、前もって正常値を知っておくためだそう。

とてもリスクのある薬だと思った。

7日分でて、真面目に飲んだが、これがいけなかった。

頭がパニックというか、もう、落ち着かなくて、いてもたってもいられない状態になった。

じっとしていられないのだ。叫びたい気持ちになって狂いそうだった。

じっとしていられないので、家を飛び出して、階段を駆け下りで、下までつくと、また、階段を駆け上ってを繰り返した。この時の私の状態は狂人だったと思う。

この苦しみは経験したことがある人でないと分からないだろう。

鬱になった人で、じっとしていられない、落ち着かない、発狂しそうという人がいたが、きっと、こんな状態なんだと理解した。

薬は止めた。こんなに自分の精神がバラバラになるより、痛みを抱えている方がよっぽど良いと思えた。

このことがあって以来、精神薬は取っていない。

わたしには合わなかったのだろう。

 

こんなことから、ますます、本当の治癒とは、体を健やかにこころを穏やかに平和に過ごすにはと深く探求するようになった。

 

 

そこから本格的にこころの勉強を始めることになる。

こころの勉強だけでなく、副作用を起こさないものを探し求める。

 

 

またしても息子の命の危機

息子にてんかん症状の大きな発作が起きる。

発作を抱えたまま家出する。数か月後に分かったことだが、

知り合いの家にいた。その後、失踪して手がかりがなくなる。

探し回る。

息子が家をでたことで、自分責めが始まる。

彼を理解していたつもりだったが、寄り添えていなかったのではないか、もっとできることがあったはずと。

病気を抱えたままの状態での失踪だったので、神経は休まることはなかった。

洗脳やマインドコントロールの専門家にも相談っした結果、

5年後に、身体がボロボロになって帰ってくる。

栄養失調で脳委縮、精神状態が非常に悪い。

発達に障害があることが分かる。

入院。HCUで治療。

大きな手術の提案。(体の形が変わるほどの)

本人は死んでも良いから退院したいと、命綱の機械を引き抜いて病院を抜け出そうとした。命の保証はないと言われる。

精神科の閉鎖病棟へ保護するため転院。

この数か月は生涯で一番つらい時期だった。

だが、この時期、師匠のアドバイスや友人の励ましの言葉、みんなが祈ってくれたことで、乗り越えていった。

日々を祈りながら生活していた。

それしか、できなかった。

 

自分が心理学を学んでいなければ、そして体の叡智を信じていなければ乗り越えられなかっただろう。

わたしたち家族は「息子の命を守るため」すべての決断と行動をした。

 

病院の先生が私たち家族に手術の方法、説明をしようとしていた矢先、息子の体から、膿を排出するための機械がポロリと落ちた。この機械は命綱だ。それが抜けてしまった。

中はどうなっているのだろう。分からない状態で

外れた個所を閉じ、ほぼ毎日レントゲンを撮った。1週間しても悪化はなかった。

奇跡のようなできごとだ。

先生は予想もしなかったと言われたが、喜んでくれた。

 

ひとの体はなにが起こるか分からない。

悪いことも、良いことも。

 

入院して4か月後、退院した。

 

60代後半~70代

長年の学びと経験を統合したセッションをするようになった。

自分が助けられたように、今度は苦しんでいる人の役にたちたいと思うようになったからだ。体のことは医者でないから治療するということはできない。

ただ、こころとからだは力を合わせて、お互いを癒すことはできるのではないだろうか。自分自身で悩みの解決や望みを願えば、希望への扉は開かれる。祈りの力もそうだろう。

 

こころがしんどい、体がしんどい、

混乱してどうして良いかわからない

自分一人では無理、そんな時

頼れる人がいたら、道標があったら

どんなにか、ほっとすることか

 

迷って迷って、ひとりぼっちで寂しくて

心もとなくて、泣きそうになった

そんなとき、寄り添ってくれるひとがいたら

どんなにか、救われただろう。

 

もし、誰かが、そんな状態で ひとりぼっちだと

途方にくれているなら

信頼できる人が思い当たらなかったら、

いや、思い当たる、けれど迷惑をかけてしまう、

心配をさせてしまうのではないかと

躊躇するなら、専門家に頼るのもひとつの道。

 

 

安心してこころがほっとする。

こころとからだに寄り添う専門家を目指そう

 

そんな風に思うようになった

それが、わたしの恩返しだ

 

ひとの魂はもともと幸せに生きるようになっている。そのことに気づいたのは、今から40数年前。20代後半で大病をしてあちらの世界に行きかけていたとき。

こちらの世界に戻ってきたときの体験から、そう信じられるようになった。その時の平和なこころと体を取り戻すために、もしそれを阻むものがあるなら癒し消し去りもとの平和なスピリットにもどることが出来るはずだ。これが原点だと思う。

 

臨死体験から、覚醒体験をした時のこと、世界中の人がこのような至福を経験したらひとつになれると、心底信じられた。魂はある。そう信じている。

 

 

こちらの世界に生還してからは、もう悩みなんてないはず。

でも、上記にあるようにそうはいかなかった。なんで、こんなに辛い出来事が自分に、そして家族に起こるのだろうと思った。今では分かる。それは本来の生き方をしていないから。本来の自分を思い出すために必要だったのだと思った。

とにかく、健康で長生きしてほしい。ただ長生きではなく、平和なこころで幸せを感じながら、笑っている時間を少しでも多く持ちたい。

それは、大切な人をもっている人なら、必ず、そう思うのではないだろうか?

自分の家族だけでなく、友人、仲間、近所のひと、地域、日本、世界、地球と、規模は大きくなっていくだろう。

 

幸せな平和なこころと、身体を手に入れるために、癒しに関する勉強を始めて、人々に貢献したいと思うようになった。

 

潜在意識に直接働きかけることで、こころとからだにハーモニーをもたらし、自分自身にほっとして、安心できるようになる。

 

こころと体を繋いで平和なこころになるセラピーとカウンセリング。

 

こころと体のお悩みを気持ちよく自然に解決するセラピー。カウンセリング。

 

生き辛さを感じている人に、こころと体の癒しに寄り添うカウンセリングで安心して自分でいられるようになる。

 

こころに悩みのある人は、体質が偏っていたり、体調が悪い。

こころとからだの両面からのアプローチをするところが特徴的。

 

カウンセリングが中心だが、

言葉で表現するのが苦手なひとでも、何も言わなくても、いい。

 

その場合は本人のからだに聞いて解決していく。

 

体の反応は本人が意識していないこと、潜在意識の領域にアプローチするので本当の気持ちを知ることができる。

 

 

【学んできたこと】

代替療法のホメオパシー、フラワーレメディ、心理学、東洋医学入門(風水薬膳茶)、フィシオエナジェティック(ホリスティックキネシオロジー)

これらの学びはこころと体に関すること。

 

これらを統合して、一人一人に合わせたオリジナルセッションを提供している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近々、サイマティクスセラピー(波動療法)の進化版イーマ・サウンドセラピーを取り入れる予定。

サイマティクスセラピーは副作用がないため、東洋医学の先生が治療に取り入れているが、精神的な領域にも親和性があるといわれている。

カウンセリングと相性が良い。

 

 

こころと体の悩み、不調。20代~

 

・トラウマを克服したい

・私は愛されないと感じてしまう

・すぐに罪悪感を感じてしまう

・漠然とした生き辛さを手放した

・劣等感をなくして自信をもちたい

・仕事も人生も突き抜けたい

・ブレてもすぐに戻せる行動力を身に付けたい

・セラピーのクオリティを上げたい

・幸せをもっとたくさん見つけたい

・楽しく魂の望み通りに生きたい

・世の中に貢献できる人になりたい

・叶えたい目標や夢がある

 

 

本当は、こころをひらいて、安心してひとと繋がりたいのに、敏感で傷つきやすいため、ココロが怖れでいっぱいになっている。

小さい頃に家族が仲が悪かった、自分は役に立たなかったと自分を責めているひと。

叶えたい夢があるのに、その道筋が見出せなくて、いつもモヤモヤしている人。

アダルトチルドレン、インナーチャイルドを癒したい人、HSP傾向が強いことからくる悩みと体の不調。いつもどこかが調子悪い。

 

 

病気になっているわけでもないのに、病気への恐怖をすごく感じて身を切られるように辛い。

人前で喋りたいのに、チャレンジできない。

仕事を発展していきたいのに、行動できない。

 

自分が何をしたいのか、自分の本当の思いが分からなくて混乱している。

 

わざわざ自ら苦労する方や幸せを避ける道を選んだり、順調だったものをめちゃめちゃに壊したりしてしまう。

 

生きているだけで罪という意識にさいなまれる。

 

知らない間に犯罪をおかしているのではないかとビクビクしたり、

 

身に覚えがないことで警察がきて逮捕されるんじゃないか、自分の言葉を誰も信じてくれないんじゃないかと怖い。

 

ひとりでいると誰かが怒鳴り込んでくるんじゃないかと怖くてひとりで留守番ができない。

 

罪悪感、恐怖感、不安感で耐えられない。

 

人に会って帰ってくると、何か失礼なことを言わなかったか、私が話したことはどんなことだったか、相手や周りの人にとって酷いと感じることを言わなかったかなどどんどん不安になってくる。

 

怖さ、居場所を失う怖さ、自分を否定されている怖さ、大切にされない怖さ、

 

上司に対する怒り、年上の男性が怖い。恐怖は幼いころに感じた父へのもの。

 

追記2.16

職場の上司に一方的に理不尽に責められても、なにも言い返せなくて恨みや怒りで眠れない。辞表をもって職場へいく。

どう思われるか気になって、自分の思いを言うことが怖い

何で自分ばかり嫌なこと・仲間はずれするのか、腹が立つ。

 

 

生まれてから大人になる間の出来事で傷つき、自分が価値のない存在だと思い込んで信じたため。幼い未熟な脳で決めた信念を大人になっても持ち続け、それを元に判断し、行動しているため、人生脚本が不幸を選ぶ方向へと向かっている。

例えば、

自分は愛される価値がない。存在してはいけない(深くて深刻な原因になりやすい)

重要であってはいけない(自己重要感に関するもの)

 

自分のやりたいことや、本当の気持ちを知って、こころ穏やかに過ごせるようになりたい。

安心して人と繋がりたい。(追記 安心して繋がり合える人間関係)

 

自分の居場所をみつけて周りの人から大切にされる未来。

 

自分の感性を理解して大切にしてくれる人と出会って一緒に明るい仲の良い家庭を作る。

 

追加2.13

・自分を信じられる

・よき理解者・味方がいる

・自分が自分の味方でいられる

・孤独にならない

・私は私と思える

・自分を責めない、否定しない

・幸せを感じられる

上記が望む人生(Aさんより)

 

 

 

 

 

 

 

幼い頃に決めた信念(ビリーフ、価値観、思い込み)は無意識レベルに沈んでいるため自覚されることはないが、それを意識化して、消去する。そこへ新しい望ましい概念をインストールすることで、理想の未来への方向へハンドルを切ることができるから。

 

自然療法、心理学を学ぶことで、こころの構造と悩みの発生の機序を知って、意識的にケアできたこと、そして自らもカウンセリングを受けることで悩みが改善された。

昔の自分のようなこころと体の悩みをもっている人へ、必ず道は開けると伝えたい。

 

 

・人前で喋りたいのに、緊張するし、行動できない。病気になっているわけでもないのに、病気への恐怖をすごく感じていました。でも、300人の前で話すチャレンジをして、満足する結果を実感しました。仕事は思い描いていた未来への第一歩を踏み出すことができました。自分で言葉を発したり、行動を変えようと意識しなくても実現することができて不思議でとても興味深い体験をしました。わこさんは優しく大きな器をもっていらして安心して話せました。目に見えない世界は信じられない部分もあったのですが、わこさんの人柄に触れると無条件に信じたくなりました。

(TO様 カウンセラー)

 

・たくさんの気づきがあった事と、幸せだけど「退屈」という思いが全くなくなりました。いつもなんとなく幸せで心穏やかに過ごせるようになりました。

毎朝起きるのがつらかったのにスッキリ起きられるようになりました。(NK様)

 

・約12年間パニック障害を抱えて、本当に生き辛い日々を送っていました。飛行機には乗れないし、人前で喋る機会で再発することがあり、完治はしないと諦めていました。そんな時にわこさんに出会いました。施術は本当に不思議で、それ以来、一度もパニックは出ていません。何度も助けられたし人生が変わってきています。

西洋医学、整体、カイロプラティック、漢方、気功までいろんな治療を試してみた結果、わこさんが最高峰です。(ES様 シンガーソングライター)

 

・今でも幸せなのだけど、もっとこうなれたらいいなという自分を感じていました。

身体を通して魂の声を聴くセラピーなので、潜在的な悩みというより「欲求」をクリアにするために受けました。人生の目的地がクリアになり、行動に確信を持てるようになり、使命に従って行動を洗練させていくことがナチュラルにできる様になりました。ブログのアクセス数が驚くほど増えたこと、ブログのランキングに3位に入ったことなど不思議なことも起こりました。イメージがどんどん湧いてきてクリエイティブな作品作りに猛烈に打ち込めるようになっています。(AM様 アーティスト)

 

・一言でいうと「自分の人生に変革がおきた」です。

今まで、人との出会いで影響されることはあっても、癒されることはほとんどありませんでした。だけど、わこさんのセラピーを受けて、身体の不具合が改善されたり、思考のクセがなくなったり、自分自身で生き辛くロックしていたものが無くなりました。自然体になりつつあります。身も心もスッキリです。

 

・仕事のこと、結婚のことで、漠然とした悩みがあり前に進めないでいました。

仕事を辞めて1か月半ほど経ち、後悔するかな?落ち込むかな?と想像していた日々はやってきていません。後悔しようと思ってもできません。落ち込めません(^^)

 

・ドラッグストアで80錠入りの頭痛薬の箱をいつも持っていないと安心できなかったのに、忘れていられるようになりました。片頭痛がなくなりました。

 

その他、

劣等感、罪悪感からくる心の悩みと共に解消した体のお悩み(お客様の声から)

器質的な問題のない頭痛。生理痛。性交痛。花粉症。パニック障害、憂鬱症